人の子が来る時、地上に信仰を見出すだろうか・・・・。(ルカ18:8)

必ず『預言&私的啓示のT』の方から先に読んでください。

福者エリザベト・カノリ・モラ (1774 −1825)

イタリア人。4人の子供の母親(最初の2人は、早くに亡くした)。洗足三位一体会の第三会員。聖痕。夫は、大変ひどい人で、貧しさと苦しみの中、エリザベトは、1人で2人の娘を育てねばなりませんでした。よく働き家族に献身したエリザベトは、模範的な母親です。1994年に教皇ヨハネ・パウロ2世により列福。なお、彼女の夫は、エリザベトの預言通り、彼女の死後回心し、司祭となり、またフランシスコ会の修道士にもなりました。(以下は、福者エリザベトが残した預言)

天が開き、使徒の頭、聖ペトロが大いなる光栄を帯び、歌を歌っている無類の天使達の護衛に包まれて、下に降りてくるのを見ているようだった。聖ペトロは、教皇法衣を召され、右手には、司牧杖を持ち、それでもって地上に、巨大な十字架を描いておられた。同時に、天使等は、詩篇作者の言葉を歌った。『あなたは全地上に彼らを、頭として立てるだろう』と。

こののち聖なる使徒、聖ペトロは、その杖で、十字架の4端を触れると、そこから花と実を付けた4本の美しい木が生えた。この神秘的な木は、十字架の形をしており、輝かしい光に包まれていた。その時、私は、霊魂の深みの中で、聖ペトロがこの4つの象徴的な木をイエズス・キリストの忠実な友の小さき群に、それらの木が避難場所として役立つように、そして全地を震え動かすことになる恐るべき天罰から彼らを守るために生じさせたのだと言う事が分かった。

全ての良きキリスト者は、自分の修道会の精神を心の中で忠実に守った全ての修道者と共に、これらの木の下に保護されるだろう。私は、在俗聖職者とカトリック信仰を心に守る全ての階級の他の人々についても同じ事を言う。彼らは守られる。

しかし会則を守らない修道者達は災い! 彼らは、3倍不幸だ! 彼らは全員、かの恐ろしき天罰に打たれるだろう。 私は、同じ事を快楽の生活に自分を渡し、また福音の聖なる教訓に反する現代的考えの偽りの格言に従う、全ての在俗聖職者と世の全ての階級の人々に言う。つまずきを引き起こす行為によって、イエズス・キリストの信仰を否定する、これらの哀れな人々は、天主の正義の憤然とした御腕の重さの下に滅びることになる。彼らのうち、一人としてこの天罰を避けえる者はいない。

私は、この神秘的な木の下に非難を求めた良きキリスト者達が、自らの良き牧者である聖ペトロの配慮と、不寝番に信頼した美しい子羊たちの形で、彼(聖ペトロ)に、いとも謙遜な、いとも尊敬に満ちた従順を証ししてるのを見た。使徒の頭である聖ペトロが、安全な場所にイエズズの群を集めるやいなや、彼は天使等の軍隊に伴われて天に再び昇られた。

彼らが見えなくなると、空は酷く厚い不気味な雲におおわれ、狼狽せずに雲を見ることは不可能だった。突然、恐ろしい暴風雨がそこに吹きあがり、その騒音は、怒り狂うライオンの雄叫びのようだった。とても嫌な嵐の音が全地上で聞かれた。不安と恐怖は、人々だけでなく、野獣さえも襲った。全ての人は、互いに対して立ち上がり、情け容赦なくお互い殺し合うだろう。この血なまぐさい争いの間、天主の復讐の御腕が悪人を打ち、天主の力強き権能において、天主は、悪人どもの高慢と思い上がりとを罰せられる。

天主は、公教会を転覆させ、その土台まで破壊してしまいたいと望む。不敬、かつ異端の者どもを根絶させるために地獄の力を使われるだろう。この狂気的な不信において思い上がった者どもは、自分たちは天主をその座より引きずり降ろすことが出来ると信じるが、しかし主は、彼らの策略を蔑まれる。

そして主の力強い御手の効力を通して主は、地獄の霊に地獄から出る許しを与えて、この不敬な冒涜者を罰せられる。悪魔の無数の軍団が地上にはびこり、恐ろしい惨禍と災難を引き起こして、天主の正義のご命令を執行する事になる。悪魔どもは、財産と食料生産、都市と村を荒廃させる。地上のいかなるものさえも免れる事はない。
天主は、これらの不敬な者どもを死を持って打つことを悪魔に許される。何故なら、彼らは、地獄の力に身を委ね、カトリック教会に対抗して、彼らと契約を結んだからである。

天主の正義のより深い感情で、私の霊をもっとよく浸透させたいと望んだので、天主は、恐ろしい奈落を見せてくださった。私は、地球に暗く恐ろしい巣窟があるのを見た。そこから無数の悪魔達が出て来て、人間や野獣の形のもとで、地上を破壊しに来ては、全てあらゆる所で荒廃と流血とを残していた。

幸いなるかな、全ての良きカトリック信徒は! 彼らは、聖なる使徒聖ペトロと聖パウロとの力強き御保護を体験する。この使徒達は、彼らがその身体においても、財産においても、害を受けないように彼らを見守るだろう。悪しき霊は、天主が侮辱され、軽蔑され、冒涜された全ての場所を略奪する。彼らが、涜聖した大建築物は、引き倒され、破壊され、その荒廃以外何も残らない。

この恐ろしい天罰の後、私は天が開け、聖ペトロが再び地上に降りてこられるのを見た。聖ペトロは、教皇法衣をはおられ、大多数の天使等に囲まれていた。天使等は、聖ペトロの誉れを歌い、また彼を地上の主権者と宣言していた。私は、聖パウロも地上に降り立つのを見た。天主の命令によって聖パウロは、地上を横断し、自分が聖ペトロの前に運んだ悪魔どもを鎖で縛られた。聖ペトロは、悪魔に『お前達が出てきた地獄に戻れ』と命じられた。

その時、天主と人との和解の印である大いなる光が地上に現れた。天使等は、使徒達の頭の玉座の御前に、イエズス・キリストに忠実にとどまった小さな群を導いた。これらの善き、熱心なキリスト者たちは、天主を褒め、共通の破壊から自分たちを救い出し給うたことを、そしてまた、世の偽りの格言に汚染されるのを許し給わず、イエズス・キリストの公教会を保護し給うた事を使徒達に感謝しつつ、彼に最も深い敬意を表した。

聖ペトロは、そこで新しい教皇を選ばれた。公教会は再び組織され、修道会が再建された。普通のキリスト者の個人の家庭は、天主の光栄を求める熱意と熱心とにより、最も模範的な宗教的共同体のようになった。それがカトリック教会に保留されている完全な勝利である。公教会は、人々に賛美され、尊敬され、認められることになる。全ての人々は、カトリック信徒になり、教皇をイエズス・キリストの代理者と認める。

義人ではなく、罪人を招く為に、私は来た。(マルコ2:17)

シエナの聖カタリナ (祝日4月29日 1347 −1380)

天の御父との対話:肉の罪について。・・・豚のように、肉体的な快楽の泥沼の中を精神と心を上げて転げ回る人々の犯す罪がこれである。ああ、動物的な霊魂よ。お前の尊厳は、どこにあるのか? お前は、天使の妹として造られたのに野蛮な動物になっているではないか。この罪人たちの惨めさは、いかにも大きく、純潔そのものである「私」がこれに耐えられないばかりか、彼らの友となり、僕となった悪魔でさえ、これほどの淫行が犯されるのを見る事が出来ないほどである。これほど忌まわしい罪は無いし、これほど知性の光明を消すものも無い。

天の御父との対話:不義と誤断を認める第二の告発について・・・愛しい娘よ、この第二の告発は、もはや薬がなくなった最後の瞬間に行われる。人間は、死の瀬戸際に立たされる。そして、そこで良心の虫に再会する。彼は、すでに話したように、自愛心の為に盲目となり、その存在を感じていなかった。ところが死の瞬間、人間が私の手から逃れることが出来ないと認める時、この虫は、目を覚まし始め、彼が、その過失のためにこれほどの不幸に追い込まれるのを見て、自分を咎める時、良心を蝕み始める。

もしも、その時、この霊魂が、自分の罪を認める為に必要な光明を持ち、その結果である地獄の苦罰の為でなく、至高かつ永遠の「いつくしみ」である私に背いた事のために痛悔を抱くならば、まだ憐れみを見出すことが出来るであろう。しかし、この霊魂は、死の瞬間を光明を持たず、ただ良心の虫にさいなまれ、「血」において希望もなく、自分自身の苦しみしか考えず、私に背いたことを悔やむ代りに、自分の滅びを嘆きながら越える。こうして永遠の滅びに陥る。その時、私の正義と誤断だけでなく、その上、特にこの最後の瞬間に犯した特別の不義と誤断、すなわち自分の惨めさは、私の憐れみよりも大きいと判断したことに対して行われる。

これこそ、この世においてもあの世においても許されない罪である。この霊魂は、私の憐れみを拒否し軽蔑した。この罪は、私にとって、この霊魂が犯した他の全ての罪よりも重い。それゆえユダの絶望は、その裏切りよりも、私にとっては最も不快であったし、私の子(イエズス)にとっては、もっと重大だったのである。自分の罪は、私の憐れみよりも重いと思う誤断が告発されるのは、その為である。またその為にこの霊魂は、悪魔と一緒に罰せられ、一緒に永遠の苦しみに服するのである。・・・この霊魂は、私の憐れみを軽蔑した。それで私は、私の正義によってこれを断罪する。その残酷な召使である官能と一緒に。そしてまた情け容赦ない暴君である悪魔と一緒に。霊魂はこの悪魔の奴隷となり、その官能をその奉仕に捧げたのである。私は、これと一緒に罰し、苦しみに委ねる・・・。

あなた達の体は、その内にある神から受けた聖霊の聖所であって、
自分のものではないと知らないのか。
(コリントT6:19)

マリー・ジュリー・ジェニー (1850 −1941)

フランス人。91歳で亡くなるまで、霊的結婚、聖痕、御聖体のみで生きていたなどの恵みを受ける。

(マリー・ジュリー・ジェニーの預言) 3日間、世界は闇に覆われます。この闇の間、祝されたローソクだけがあたりを照らしでしょう。そして、1本のローソクだけが、3日間消えずに輝きます。しかし、不信心な人の家にはローソクは、灯らないでしょう。この3日間、悪魔は、恐ろしいそして忌まわしい姿で現れ、ものすごい冒涜の言葉を吐き、騒ぎまわることでしょう。

また稲妻や火の粉は、家の中まで入り込みますが、祝されたローソクの光だけは、消されることは、ありません。風、嵐、地震であってもこの祝されたローソクの光は、消されることは、ありません。血のような深紅の雲は、天を横切り、雷の轟は、地を振動させ、地震で土地は揺れ、波立つ大波は、地上にまで打ち上げます。

そして地は、果てしない墳墓と化し、悪人、善人の屍は、地の面を覆ってしまうでしょう。その上、大飢饉が起こり、ありとあらゆる草木は、ちょうど人間の4分の3が滅ぼされるように枯死するでしょう。この異変は、突然起こり、天罰は、全世界に及ぶことでしょう。

自ら耐え忍ぶことによって、自分の霊魂を救わねばならぬ。(ルカ21:19)

ポーの十字架上のイエズスのマリア修道女の預言
フランス人。預言やバイロケーションなどの恵みを受ける) 

この3日間の暗闇から助かって、生きていた人は、あたかも自分だけが、この世に生き残れたかのように感じることでしょう。事実、地上は、屍で覆われるでしょう。暗黒の続く3日間。その時、無軌道放縦な生活をしている人は、滅ぼされてしまうでしょう。死者の数は、全体の4分の1だけが生き残ると言ってもいいほど、おびただしいものになるでしょう。

私と私の言葉を恥じる者を人の子もまた自分の栄光と
御父と聖天使の栄光を持って来るその時、恥じるだろう。(ルカ9:26)

聖ヨハネ・ドン・ボスコ (祝日1月31日 1815 −1888)

二本の柱
聖ドン・ボスコが見た、とても有名な二本の柱と言う預言的な夢があります。その預言的な夢では、ローマ教皇を示す教皇が乗った船とこれに従う他の船(教皇に忠実な司教たちの船)が、大変大きな嵐にあい、その上、敵の船に攻撃をされていました。この攻撃に武器として使われていたのは、主に色々な種類の書物と印刷物でした。つまりこの攻撃は、思想上の攻撃であることが示されていました。

夢では、教皇が討ち死にされ、次の教皇が選ばれ戦いが続きます。そのうち二本の柱が見え始めました。一本の柱の上には、無原罪の御宿りの聖母の御像があって、その下に「キリスト信者の助け」と書かれていました。もう一本の柱は、これよりも、ずっと大きくて高くそびえていて、柱の上には、大きな御聖体があり、その下に「信じる者の救い」と書かれていました。

この二本の柱を仰ぎ見た教皇は、自分が乗っている船をその二本の柱の間に導き入れ、両方の柱から出ている鎖で、自分の船を安定させました。これに他の司教方も倣いました。するとたちまち大混乱が起き、それまで教皇の船に戦いを挑んでいた敵の船同士が互いにぶつかり合い始めたのです。こうして、敵の船は、沈没し、その後には、おおなぎの静けさだけがありました。これは、教会の危機から救うものは、御聖体と聖母信心であると言う事を示しているのです。

あなた達も用意しているがよい。人の子がいつ来るかを知らないのだから。(ルカ12:40)

左の絵は、もちろん「最後の晩餐」のパロディです。真ん中には仏陀が座っています。第2バチカン公会議後、キリスト教の他宗派、あるいは他宗教との対話が盛んになっています。それはそれで良い事でしょうが、中にはこうしたことを誤解して、カトリックに色々なものを取り入れたり、いろんな異端的な神学や説を唱えて、人々を惑わせたり、異端に導いたりしています。

これらの行き過ぎた影響で、宗教混合主義や多元論などニューエイジ的な考えに毒され、洗礼の重要性を軽視したり、カトリックも単なる宗教の1つに過ぎないと考えたり、またはイエズスは神々の一人にすぎない、あるいは偉人の一人に過ぎないなどと言う愚かな考えに陥ってる人もいます。もっと酷くなれば、イエズスを信じなくても誰でも救われるとか、地獄なんて無い悪魔もいないとか、祈りも犠牲も神は必要としていないなどと主張する者が教会内にさえいます。こうして知らず知らずのうち、信仰は破壊され、イエズスへの愛もなくなり、絵の一番左にいるイエズスのようにな扱いになります。あなたは、イエズスを忘れたり、蔑ろにしたり、一人ぼっちにさせたりしていませんか?

しかしイエズスは、私達の唯一の救い主であり、唯一の主であり、唯一の神です。私達は「神なる主を礼拝し、ただ神にだけ仕えなければ」(マタイ4:10)なりません。他宗派、他宗教を尊敬したり迎合したり、あるいはそれらをイエズスと同列に並べたり、カトリックの教義や典礼に取り入れたりする事は、決して許されません。これこそ隣人愛だとか、誠の宗教対話だとか、離れた兄弟との誠の一致だとか、第2バチカン公会議の精神だとか主張する人もいますが、これらは単なるイエズスへの裏切り行為であり、偽りのエキュメニカル、偽りの宗教対話、神への冒涜行為以外の何物でもありません。

「私にとどまれ。私があなた達のとどまっているように。・・・・私にとどまらぬ者は、枝のように外に投げ捨てられ、枯れ果ててしまい、人々に拾い集められ、火に投げられ焼かれてしまう」(ヨハネ15:4〜8) 「私の愛にとどまれ、私が父の掟を守り、その愛にとどまったように、私の掟にとどまるのなら、あなた達は、私の愛にとどまるだろう。私がこう話したのは、私の喜びがあなたたちにあり、あなた達に完全な喜びを受けさせる為である」(ヨハネ15:10〜11) 私達は、決してどんなことがあっても(たとえ命がかかっても)「聖なる支配者、王の王、君主の主」(テイモテ6:15)であるイエズス・キリストを捨てることも裏切ることもなく、永遠に賛美し、敬わなければなりません。イエズス以外、それを受けるにふさわしい者も居ないし、救いも無いのです。イエズスのみが、唯一の救いであり、主であり、神なのです。イエズス・キリストのみに栄光と賛美あれ! 三位一体の神に感謝。

犬 (偽教師) を警戒せよ。悪い働き人を警戒せよ。(フィリピ3:2)

秋田の聖母 (教会許可) バチカンの教理省長官ラッツィンガー枢機卿は、秋田の御出現に好意的です。http://www.ewtn.com/library/mary/akita.htm

愛する娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は、全人類の上に大いなる罰をくだそうとしておられます。そのとき御父は、大洪水よりおもい、今までにない罰をくだされるに違いありません。火が天から下り、その災いによって、人類の多くの人々が死ぬでしょう。良い人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々をうらやむ程の苦難があるでしょう。

その時、私達に残る武器はロザリオと御子の残された印だけです。毎日、ロザリオの祈りを唱えて下さい。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭の為に祈ってください。悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナル(枢機卿)は、カルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は、同僚から軽蔑され攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者が辞めるでしょう。特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われる事が私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しはなくなるでしょう。

・・・ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助ける事が出来るのは、私だけです。私によりすがる者は、助けれられるでしょう。(1973年10月13日 秋田の第3のメッセージより)

こう言う事が起き始めたら、身を立てて頭を上げよ、あなた達の救いは近づいたのだ。(ルカ21:28)

ファティマの聖母 (教会許可)

地獄の現実
現代では、地獄について話されないか、あるいは、誰も地獄に堕ちないとか地獄なんて無いなど、まるで地獄をおとぎ話か作り話のように言う人が居ますが、イエズス様も聖書もその存在を否定していません。最後まで罪を悔い改めず、神のゆるしと憐れみを拒否するのであれば、地獄に行き、永遠に神と離れる可能性もあります。地獄の存在すら疑っている現代人に対し、神様は、ファティマにおいて、小さな子供たちに、地獄をお見せになることをお許しになりました。

・・・私達は、火の海を見たのです。その火の中に見えたのは、悪魔達と炎に浮かんで見える人間の形をした、真っ赤に焼け、黒く、茶色の燃えさしにも似た何人かの魂でした。彼らが自分たちから噴出す炎と煙の雲にからまれて、重さも安定性も無く、大きな炎からばら撒かれる火の粉のように、悲しみと絶望の悲鳴とうめき声をあげながら、どこかしこと無く吹き飛ばされているのが見えました。私達は。怖くて震えを止めることが出来ませんでした。悪魔は、恐ろしいゾッとするような形をした、それまで見たことのない動物のような格好をしていました。しかし、真っ赤に焼けた石炭のように透明でもありました。

神とシエナの聖カタリナとの会話:「呪われた者達よ、永遠の火に入れ」と言う恐ろしい言葉を聞くと、霊魂は、肉体と一緒に立ち去り、希望と慰めを完全に失って、悪魔の仲間になるのである。彼らは、犯した悪業の種類と程度に応じて、各自それぞれの方法で、地のあらゆる悪臭に包まれるだろう。・・・淫乱な者は、その汚らわしく恥ずかしい邪欲と一緒に。不義な者は、その不義と一緒に。妬み深い者は、その妬みと一緒に。隣人に対して憎しみや恨みを抱いている者は、その憎しみと一緒に火で焼かれるだろう。彼らの全ての悪を生んだ淫らな自愛心は焼かれ、耐えがたい苦しみをもたらすであろう。これこそ傲慢と共に全ての悪の頭であり源であるからである。このようにして皆が、それぞれの方法で罰せられるだろう。自分たちの過失を認めて憐れみを哀願するために引き返そうとしない人々の惨めな終末は、以上述べた通りである。(再びファティマに戻ります)

福者ヤシンタの言葉と忠告

私は、教皇様が、大きな家にいらっしゃるのを見たの。テーブルの脇に跪いていらっしゃったわ。手を顔に当てて泣いていらっしゃったのよ。家の外には、たくさん人がいて、その中のある人たちは、教皇様に石を投げつけていたわ。教皇様を呪ったり、罵ったりしている人たちもいたわよ。お可愛そうな教皇様! 私達は、教皇様のためにたくさん祈らなければいけないわね。

私たちの主は、とても悲しんでいらっしゃるのよ。だってマリア様が、主は、すでに酷く傷つけられているのだから、もうこれ以上傷つけてはいけないって私たちに言われたのに誰も気にしないんだもの。人々は、同じ罪を犯し続けてるじゃない。

マリア様は、御子がこの世の上に振り上げた腕をもう止めることが出来ません。償いをしなければなりません。もし人々が生き方を変えるのなら、主は、この世を許してくださるかもしれません。しかし、もしそうしなければ、天罰が下るでしょう。・・・もし人々が、生き方を変えないのなら、今まで経験したことのも無いような天罰が世界に下されます。

マリア様は、教会の中でのおしゃべりを嫌われます。主の御聖体に現存される尊敬の欠如の為)

マリア様は、世界に戦争と争いがたくさんあるとおっしゃいました。戦争は、世の罪に対する天罰以外の何物でもありません。

他のどの罪よりも、多くの魂を地獄に落としてしまうのは、肉欲の罪です。

司祭たちは、教会のことに専念しなければなりません。司祭たちは、純潔を大事に、とても大事にしなければなりません。司祭たちや修道者たちが長上や教皇様たちに不従順である時、彼らは、酷く神様に背きます。

私たちの主がお喜びにならないファッションが流行するでしょう。神に仕える人たちが流行を追っては、なりません。教会は流行と無関係です。私たちの主は、いつでも同じですから。

私たちの主の教会を迫害する者達は、呪われます。教会を煩わさず、聖なる信仰に自由を与える政府は、神の祝福を受けます。

聖母の汚れなき聖心への信心の重要性

神様は、聖母の汚れなき聖心に信心を待つ事を我々にとても強く望んでおられます。1917年7月13日、聖母は、子供たちに地獄をお見せになった後、こうおっしゃいました。あなた達は、今かわいそうな罪人たちの魂が地獄に堕ちるのを見ました。こんな人達を助ける為に、(地獄に堕ちた人達の事ではなく、地獄に堕ちる可能性がある罪人た達の為にと言う意味です。地獄に堕ちたら2度と救うことは出来ません) 神様は、この世界に私の汚れない心に対する信心を広めることをお望みです。もし人々が私の言うことを聞いてくれるのならたくさんの霊魂が救われて平和が訪れるでしょう。

いつも恩知らずの人々のトゲに囲まれていて突き刺されているあなたの御母の汚れなき聖心を見なさい。誰もそのトゲを引き抜いて償いをしようとする人は居ない。(御子イエズスの言葉)

娘よ、見なさい。涜聖と忘恩で私を絶えず傷つけるトゲに囲まれた私の心を。少なくとも貴方だけは、私を慰めてくれますね? 次の事を人々に伝えなさい。私は、5ヶ月続けて初土曜日に、ゆるしの秘跡を受けた後、聖体拝領をし、ロザリオを祈り、私に償いを捧げる意向で15の玄義を黙想する全ての人に、救いに必要な全ての恵みで臨終の時に助ける事を約束します。(聖母の言葉)

皆さんに伝えてください。神様は、マリア様の汚れ無き聖心を通じて私たちにお恵みを下さる事を。人々は、マリア様に助けを願うべきである事を。イエズス様の聖心は、マリア様の聖心も御自分と同様に尊敬されることを望んでいらっしゃる事を。人々は、マリア様の汚れなき聖心から平和を祈り求めなければならない事を。だって神様は、マリア様に世界の平和をお任せになったんだから。(ルチアへの福者ヤシンタの言葉)

私は、その奉献(ロシアを聖母の汚れなき聖心に奉献する事。1984年3月25日に実現)が、マリアの汚れない聖心の勝利であると私の全教会に認めさせたいのだ。そうれすれば、その後もマリアへの汚れない聖心への信心が栄えるだろうし、それが私の聖心への信心と並ぶ信心になっていくであろう。(イエズスの言葉)

・・・1936年5月。ポルトガルの司教たちは、ファティマに集まって、もし自国が、迫り来る共産主義の危険から守られるのなら司教総会を開催する願を立てました。その危険から守られたので、1938年5月13日に司教たちは、聖母によってポルトガルが守られた事をはっきりと認める荘厳な感謝の式典を挙行し、その際、7年前と同様に、再びポルトガルを聖母の汚れなき聖心に奉献しました。この奉献を認められた主は、第2次世界大戦中ポルトガルを特別に保護する約束をされました。実際、ポルトガルは、第2次世界大戦に巻き込まれませんでした。日本は、1948年8月21日(典礼刷新前は、聖母の汚れなき聖心の祝日で、日本の第一級の大祝日でした)に、土井大司教様により、日本司教団の名において、聖母の汚れな聖心に捧げられました。

ロザリオを祈ることは、神様とマリア様の望み

義務ではなく、神様とマリア様への愛ゆえにロザリオを皆さんも祈りませんか? ロザリオをゆっくりと心をこめて祈ることによって、私たちの罪によって傷つけられたイエズス様とマリア様の聖心の傷を癒し、お慰めする事が出来ます。マリア様もルルドやファティマをはじめ何度も私たちにロザリオを祈るようにお望みになっておられます。それは、ロザリオが、いろんな意味で救いにとって大切な信心だからです。

ファティマのマリア様は、毎日ロザリオを祈るようにとおっしゃいっています。これは、全能なる神様のお望みでもあります。ロザリオは、自分の罪の償いにもなりますし、また煉獄に苦しむ聖なる霊魂の救いのために捧げることも出来ます。福者ピオ神父も、何度も何度もロザリオを祈るように私たちに (いわば強制的に) 勧めていらっしゃいます。それだけロザリオの祈りは、大事な祈りだと言うことです。

ルチアの手紙からの抜粋:ロザリオは、貧しい人と裕福な人、賢い人と無知な人、皆のための祈りです。この信心を人々の魂から引き抜くことは、彼らの日々の霊的な糧を断つことです。ロザリオは、多くの人の心にまだ完全に消える事なくゆらめいている信仰のともしびを保つのを助けます。黙想せずに唱える人々にとってさえ、祈るためにロザリオの珠を手に取るという単純な行為そのものが、すでに、神・超自然を思い出させるのです。そして、各連の前に簡単な奥義を思い出すことも又、魂の中にともっているともしびを保たせる陽の光となります。

そのため悪魔はロザリオに対して、これほど激しい攻撃を仕掛けてくるのです。最も酷いのは、悪魔が、その職務のために、大きな責任を担っている人々を惑わし、だましている事です。彼らは『見えない者を導いている盲目』です。彼らは、自分達の立場を支持しようと、第二バチカン公会議を引き合いに出しますが、公会議が汚れなき神の御母を讃えるために年月をかけて、培かわれてきた全ての信心を守るように勧告していることに気づきません。ロザリオは、それらの中で最も大切なものの一つであり、従って公会議の布告と教皇様の勧めによると、ロザリオは、私達が守るべき信心なのです。祈り、働き、犠牲を捧げましょう。そして『最後に、私の汚れなき聖心は、勝利するでしょう』と言うマリア様の御言葉が、実現することを信じましょう」
 
聖母の汚れなき聖心への奉献文 12月8日に行う (もちろん他の日でも、あるいは個人的に唱えてもかまわないと思います)

             

先上:全てに越えて美しく類なく清いおとめ聖マリアを御母に選び、御聖体の秘跡にうちにましますイエズス・キリストの御前にひれ伏して、御母マリアのお望みに従って、ロザリオの祈りを唱えましょう。(ロザリオを一環唱える)

先上:御聖体の秘跡のうちにおいでになる私達の救い主イエズス・キリストの聖心をお慰めする為に、清いおとめ聖マリアのお望みに従い、マリアの汚れのない聖心に我が身を捧げましょう。

先上:清いおとめ御母マリアの汚れのない聖心に身を捧げる祈り。

先上:全てのものが造られるより先に、いつくしみの神の永遠のご計画によって選ばれたマリアよ。私たちのこの祈りをお聞きください。

一同:あなたは、神の永遠の御一人子、私たちの主イエズス・キリストの聖なる神殿となられる為に、人祖伝来の原罪の汚れを免れてまったく清く宿られました。おお! これほど清く作られたあなたこそ、全てに越えて美しく恵みに満ちたお方です。私達は、御聖体の秘蹟のうちにおいでになる御子イエズス・キリストの御前にひれ伏して、あなたにこれほどまでの特権を与えられた神に心から感謝いたします。

お望みに従って御子イエズスの聖心とあなたの汚れのない聖心とをお慰めする為に、あなたのお手本に習い、清い生活を送る決心を致します。この為に、洗礼の約束を新たにし、それぞれの身分に応じたつとめを忠実に果たすことをお約束いたします。キリスト信者の御助け、御母聖マリアよ、今こそ、あなたのお勧め通りに尊いロザリオの祈りを毎日唱え、御子とあなたとが私たちの救いの為にどれほどお苦しみになられたかを心からしのびます。

どうぞ、私たちの心が限りない御憐れみに感じ、御子の御恵みとあなたの御助けとによって、これから清い日々を送ることが出来ますように。ああ、尊いロザリオの聖母よ、私たちのこの良い決心を強めて、実行するお恵みをお取次ぎください。全てに越えて美しく類なく清いおとめ聖マリアよ、あなたの御子が建てられたこのまことの教会に憐れみの御目を向けてください。いまや地獄の力は、反逆の雄叫びを上げ、高ぶった心を持って神とその教会と清いおとめ聖マリアのあなたに戦いを挑みつつ、教皇、司教、司祭をはじめ、神の民と善意ある人々全てに怒り狂って迫ってきます。

こうして数知れない人々の霊魂が、現代の流行となった無信仰と不道徳の危険にさらされて罪と暴力の奴隷となり、地獄の淵に突き落とされようとしています。おお!聖母よ、多くの民々が神の賜物のまことの自由と平和と人としての威厳と権利を奪われて、極度の苦しみに落ちてゆくのを顧てください。人祖の時から示された蛇の頭を踏み砕くあなたの御力で、武装した強い軍隊のように、どうぞ私達の為に戦って下さい。教会の御母聖マリアよ 神の聖なる民を悪魔が撒き散らす謬説とつまずきとのおびただしい罠から守って、再び地獄の力を踏み砕いて下さい。

今日、世界に迫ってきた恐ろしい災いを遠ざけて下さい。教皇を始め、司教たちの憂いをご覧下さい。また我が身と子供たちを取り巻く危険をはらんだ暗い運命に悩む世の親達の嘆きをもご覧下さい。戦いを交えている人々の心には、安らぎと平和の望みが与えられ、全ての不正を裁かれる神が、悩みに沈む全ての人々に、正義に基づくまことの平和をお与えくださるように、御憐れみをもってお取次ぎください。私達は、この為にお望みのままに心も知恵も体も五感も、そして私達の属する教会(または団体)と全教会、人類全てをあなたの汚れない聖心にお捧げ致します。

また、世の罪を償う為と、御子イエズス・キリストとあなたに対するおびただしい侮辱をなだめられますように、あなたの御手を通じて、御子イエズス・キリストに我が身をお捧げ致します。苦しむ者には慰めを。世界には正義に基づくまことの平和を。罪人には痛悔と助かりの恵みを。そしてまだイエズス・キリストとあなたを知らない人々には、信仰を。迫害されている教会と民々には、まことの自由をお取次ぎ下さい。おお!マリアの汚れない聖心よ、私達があなたに守られ助けられ、あなたと共に、救い主イエズス・キリストに賛美と祝福、礼拝と感謝を永遠に歌うことが出来ますように。私達を天国の永遠の救いの祖国にお導き下さい。アーメン。

人類が神に立ち返らない限り、大災害が待っている(聖ピオ神父)

それは、地上に住む全ての人を襲うであろう。来るべきすべての事から逃れる力を持ち、人の子の前に安心して、現れることが出来るように、いつも警戒し、そして祈れ。(ルカ21:35〜36)

その時、ミカエルが立ち上がる。彼は、主の民の子らを守る偉大な君主である。国始まって以来、今まで無かったほどの苦難の時が、その時である。その時、主の民のうち、本に記されている者は救われる。また塵の中に眠る多くの人が目覚める。ある者は永遠の生命に。ある者は恥と永遠の辱めに。知恵者達は、大空の輝きのように煌きわたり、多くの正義を教えた者は、永遠に限りなく、星のような者なるであろう。(ダニエルの書12:1〜3)

 

 

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