ローマにトレ・フォンターネと言う所があります。ここで以前、聖母出現がありました。トレ・フォンターネとは、『3つの泉』と言う意味があります。この名前の由来は、聖パウロが打ち首により殉教した時に、彼の首が転々と3ヶ所に転がって、その場所から水が噴出したと言うお話から来ています。そこでトラピスト会は、この場所を記念する為にここを囲んで聖堂と修道院を建てました。聖母出現があったのは、この修道院の向かいの丘です。

聖母の御出現を受けた人は、ブルーノ・コルナッキオーラと言う人で、カトリックの信仰を捨てただけでなく、聖母を攻撃し、ローマ教皇を殺す事までを画策していた人でした。彼が生まれたのは、1913年5月9日で、聖母の御出現を受けたのは、33歳の時でした。聖母を攻撃し、迫害していた人がどうして救われたのか? 実は、彼が回心しカトリックに立ち戻れたのは、彼が以前1つの信心業を行っていたからです。それゆえに彼は、救われたのです。

ブルーノは、大変貧しい家に生まれました。彼は兵役後、Iolandaと言う女性と結婚しました。その後ブルーノは、お金を得るためにスペインの内戦に参加し、ここで共産主義の影響を強く受けてしまいました。また同時にプロテスタントの影響を強く受け、ローマ教皇の権威こそこの世の悪の原因だと確信し、教皇を殺す事を誓い、カトリック教会への憎悪も心に強く抱いたのです。そしてスペインで短刀を購入し「教皇、死ね」とその短刀に文字を刻みました。

ブルーノが影響を受けたのは、アドベンチスト(再臨派)と言うプロテスタントでしたが、彼の妻は、まったく無関心だったので、彼は、妻に暴力を振るい虐待し始めました。それだけでなく、彼の周りにある十字架像や聖画をことごとく破壊し、焼き捨てました。彼は、やがてカトリックの教えを捨て、アドベンチストに改宗すること決心したのです。

そんな彼は、ローマで、1939年から1947年まで、バスの運転手として働きました。不幸な事に、彼の妻への暴力は続けられ、妻と子供達にとって、大きな苦しみの原因となりました。その頃の彼は、共産主義を確信し、まだ教皇殺害の為の計画も持っていました。

1947年4月12日。彼は、この日の午後から、トレ・フォンターネに子供達を連れて遊びに行きました。彼の子供たちは、広い野原でボール遊びをしていました。その間、すでにアドベンチスト(再臨派)の熱心な信者であったブルーノは、翌日に行う同派の青年向けの講演会の為の原稿を考えていました。テーマは、いかに聖母の無原罪と被昇天を否定し、カトリックの教えそのものが間違っているかを証明するか?でした。

その時、子供たちのボールがどこかに飛んで行き、見つからなくなりました。ブルーノも子供たちに頼まれて、一緒にボールを探しました。そしてユーカリなどの木が生い茂っている小高い丘の方まで行きました。そこには、小さな洞窟があります。この洞窟に一番最初に着いたのは、次男のフランコ(4歳)でした。彼は、洞窟の前に跪いて、両手を合わせ微笑みながら、洞窟の中をじっと見つめていました。ブルーノは、その時、洞窟の中に美しい女性を見たのです。

その女性は、髪は黒く、白い服を着ていて、バラ色の帯をしめ、足は裸足で、緑色のマントを頭からかけていました。彼女は、胸のあたりに灰色の本を持っていて、足元の黒い布の上には、強打された十字架像がありました。やがてこの女性は、ブルーノに話し掛けましたが、子供たちには、その声が聞こえませんでした。ただ彼女の唇が動くのを見ただけでした。この会話は、約1時間20分続きました。この女性は、次のようなお話をされました。

『私は、三位一体の神のうちにいる者。私は、黙示の処女。あなたは、私を迫害してきましたが、もうお止めなさい。聖なる羊の群れ(カトリック教会の事)に戻りなさい。あなたは、異端に陥る前(カトリックの信仰を捨てる前)あなたの忠実な妻から薦められて行った9つの初金曜日の信心業注1を守りましたが、これがあなたを救ったのです。神様の約束は、不変です注2

そしてこの後、聖母は、彼に助言しました。『神の教えに従って生きて下さい。キリスト教の教えを実行して下さい。それからたくさん祈ってください。天使祝詞を信頼と愛を持って祈る時、それは、まるでイエズスの聖心にまっすぐ行く黄金の矢のようです。そして無信仰者と全てのキリスト教信者の罪人達の回心の為にロザリオを祈ってください』それから、次の事を約束されました。『私は、特別な恵みを約束します。私は、無信仰者や罪人達の回心の為に、この罪の土を持って偉大な奇跡が行うでしょう』

実際、この洞窟のあたりは、カップルが猥褻な事を行う為によく利用されていて、不道徳な場所として評判が大変悪い所でした。また聖母は、将来起こる問題についてもお話になられました。『科学は、神を否定し、神の呼びかけを拒否するでしょう』 特に聖母は、ご自分の地上での生活と被昇天についてお話されました。『私の体は、腐敗する事がなく、実際腐敗しませんでした。私の体は、御子と天使達によって天国に運ばれたのです』

それから聖母は、教皇様への秘密のメッセージを彼に与えました。『あなたは、キリスト教の最高の指導者であり、聖なる父である教皇様の所に行き、私のメッセージを直接伝えねばなりません。私は、あなたと共に教皇様の所に行ってくれる人を認識する方法を教えます』 それから聖母は、回心する為に従うべき司祭の事やブルーノが今後迫害されても聖母ご自身が保護する事も約束されました。

        

最後に聖母は、ブルーノと子供たちに微笑みかけ、ぐるりと向きを変えると歩いて行き、洞窟の壁の中を通り抜け、やがて姿が消えました。あたりには、まだ甘美な香りが漂っていました。子供達は、興奮していましたが、ブルーノは、しばらく呆然としていました。彼は、洞窟内をきれいに片付けた後、ドアのカギを使って引っかくようにして次のメッセージを書き記しました。”1947年4月12日。黙示の処女は、この洞窟でプロテスタントのブルーノ・コルナッキオーラとその子供達に出現されました。それで彼は、回心しました”と。

ブルーノは、子供達に、今見た事を黙っているように言いました。家に着くと、彼は、妻のIolandaには、起こった全ての出来事を話しました。そして彼女の前に跪いて、今まで自分がしてきた事に対して、許しを請いました。その後、聖母の助言通り、彼を導くべき司祭が見つかり、その結果、カトリックに復帰する事が出来、またこの御出現の話もどんどん広まっていきました。巡礼者の数も増え、癒しや回心が頻繁に起こりマスコミでも取り上げられるようになりました。ブルーノと子供達は、警察から尋問を受けましたが何一つ矛盾を見つける事は、出来ませんでした。その後も聖母は、ブルーノに現れ続けました。

教会当局の調査も始まりましたが、この『黙示の処女』は、教皇代理によって、通常よりも早く異例の速さで承認されました。またこの御出現を模した聖母像は、1947年10月5日、教皇ピオ12世により祝別され、多くの群衆の手により、バチカンの聖ペトロ広場からトレ・フォンターネまで運ばれました。

この『黙示の処女』の御出現から2年後の1949年12月9日。ブルーノは、教皇ピオ12世の私的聖堂で、1950年の聖年の始めのお祝いの一環としてロザリオを祈るグループに招待されました。ロザリオを祈った後、ブルーノは、ピオ12世の所に行き、聖母から託された秘密を伝えてから、跪いて涙を流し、教皇を殺す為に持っていた、あの『教皇、死ね』と刻まれた短剣とプロテスタントの聖書をピオ12世に差し出しました。ピオ12世は、慈悲深く即座に彼に許しを与えました。ピオ12世は、言いました。『もし、あなたが私を殺したとしても、教会に新たな殉教者を与えるだけです』

それからもブルーノは、聖母から委ねられたメッセージを人々に広めました。回心し、よく祈るように。特に毎日ロザリオを祈るようにと。それからマリア様が約束された通り、あの罪の土によって、引き続き多くの病人やケガ人が癒され、またたくさんの人が回心しました。ブルーノ自身は、多くの迫害を受けましたが、これもまたマリア様のお約束通り、聖母は、彼を力強く保護され、ブルーノは信仰を守り通しました。聖母は、あの洞窟以外でも、たびたび御出現になり、ブルーノを励ますだけではなく、例えば、教皇ヨハネ23世の帰天後、コンクラーベ(教皇選出の為の選挙)が行われる前に、モンティーニ枢機卿(教皇パウロ6世)が教皇になると知らされたりもしました。

最後に聖母の『秘密』についてですが、聖母は、ブルーノに、戦争と大災害についてお話されました。また教会は、世界で起こってる出来事の為に大変苦しむだろうとも言われました。それから人類は、戦争と大きな危険に向かって突き進んでいるとも聖母は、言われたのです。聖ドン・ボスコなどの預言を考えるとやはり『ロシア』による危険が大きいのかもしれません。ファティマでもロシアについて語られていますから・・・。いずれにせよ、マリア様がブルーノやファティマの子供達に示されたように、私達は、キリスト信者として相応しい生活をし、ロザリオを熱心に祈り、御聖体の御子、そして主と御母の聖心を熱心に愛さねばならない思います。義務ではなく愛ゆえに・・・。共に主を愛し、至聖なる三位一体の神と聖母を褒め称えましょう。何が起きようと、悪魔が勝利するかのように見えても最終的には、御子と聖母の聖心が勝利されるのです。ですから何も恐れる事は、ありません。

注1) 9つの初金曜日の信心業とは、9ヶ月間続けて、月の第一金曜日に、人々の罪からの受けられる忘恩、侮辱によって、お悲しみなるイエズスの聖心をお慰めする為に聖体拝領をする信心業です。

これは、1687年10月13日、イエズスが聖女マルガリータ・マリア・アラコックに御出現になり、この信心業をする者に対し、臨終の時、痛悔する恵みと、また恩寵を失ったまま死ぬ事がないように、また秘跡を受けないまま死なない事を約束されました。主がこの信心業を行うも者に対し、天国を保証してくださっているのです。

ブルーノの奥さんは、彼が、異端と共産主義に傾き始めた時、この信心業をなんとかブルーノに実行させました。それは、彼が異端と共産主義に染まったとしても、いつか神様が改宗させて下さるだろうと確信していたからです。それにしてもこの信心業が啓示されたのは10月13日。教皇レオ13世が未来の教会の危機を見たのも10月13日。ファティマの最後の御出現も10月13日。秋田の御出現の最後も10月13日。単なる偶然か・・・な?

注2) こう言う信心業を悪用しても救いの対象には、ならないのでご注意ください。例えば、この信心業さえすれば、最後には、救われると思い、死ぬ直前まで信仰を捨て、好き放題快楽のままに生きるなど・・・。これは、神の憐れみへの信頼ではなく、神の憐れみの乱用です。

 

 

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